対談「夢二のふるさとにある夢二郷土美術館」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両備と夢二作品


小嶋

松田基前会長が亡くなられる1年前ぐらいの話ですが、両備グループに最も大きな含み財産は何か?と聞かれたことがあって、私はその時「事業か人材ではないですか?」と答えました。すると前会長は「それもそうだが、夢二をはじめとする僕が集めたコレクションだよ」とおっしゃいました。


また昭和49年の話ですが、私が両備運輸の常務に就いた時に、前会長は常務室に港が描かれた絵をくださいました。そしてその時「この絵は私の初サラリーで買ったもの。お前は初サラリーを何に使った?」と聞かれ、「飲み屋のツケに消えました」と答えた思い出があります。


改めて前会長が私財を投げ打って買い集めた美術品の数々に対するその思いを痛感しています。今日、この夢二郷土美術館が存在するきかっけも、前会長と夢二作品との出会いそのものになるわけですが、その頃のエピソードから聞かせてください。


小川

昭和26年、まだ焼け跡の雰囲気の残る大阪梅田駅の古本屋の店先に2点の夢二作品がかかっていたそうです。1点は女性の後姿を描いた「加茂川」、もう1点は油絵の「女」。当時は挿絵画家としての印象しかなかった夢二ですが、その時、前会長には強く感じるものがおありだったようで、即座に有り金をはたいて買い求めたとお伺いしております。


小嶋

基会長は夢二のナイーブさに魅かれたのではないかと感じているのですが、小川さんはそのあたり、どのようにお考えですか?


小川
まずひとつめは、郷土・岡山の出身であるということがあげられると思います。前会長ご自身が、郷土に強い思いを抱いていらっしゃいました。竹久夢二だけではなく、満谷国四郎(吉備郡出身の洋画家)、国吉康雄(岡山市出身の洋画家)、皆見鵬三(総社市出身の洋画家)など、郷土岡山出身の芸術家の作品を理解され、支援をなさいました。

次に時代を濃く語っているということ。一見、何でもないような作品でも、旧き時代の日本を、そして新しい文化をどんどん取り入れて、移り変わる日本を作品が語っていること。夢二の感性の鋭さと、柔軟さ、そして打算のない人間の純粋さは、前会長が心魅かれた大きな要因ではなかったでしょうか。



郷土へのこだわり


小嶋

以前、夢二郷土美術館の本館は西大寺に、分館はリョービガーデンにあったのですが、入館者数が伸びないという問題を抱えていました。その時に「場所が悪いのではないですか? やはり岡山市内に移したほうがよいのでは。適地は西大寺鉄道の後楽園駅跡地ですよ」と前会長に言ったことがあります。ところが「西大寺、邑久など、東備地区の観光に資するため、この地に設けたのだ」と言われました。郷里を大切に思う気持ちの表れですね。

さらに「夢二郷土美術館」という名前にもエピソードがありまして、私は「“郷土”という文字は要らないのではないですか? その方がすっきりするでしょう」と言ったのですが、前会長は「いや、“郷土”の2文字があるからいいのだ」と譲りませんでした。他県にも夢二の名の付く美術館はありますが、「郷土」の2文字を使えるのはここしかないのだ、ということを大事に考え、こだわったのです。


小川

確かに、夢二が生まれ育った風土の中に夢二の作品がある、というのは何にも代えがたいことです。これだけの作品が夢二の郷土にあるということは、今改めて、前会長の先見の明に、ただ驚き、感謝です。


小嶋

前会長は、夢二の人生観、夢二の思い、憂いにピンと来たのでしょう。そこのところが、岡山の人にも愛される美術館になっている所以だと思います。

前会長は夢二のことを「岡山らしいヒューマニスト」と表現しました。夢二の考えや思いの原点はやはり「岡山」という郷土にあるのです。


そういう意味から言えば、この岡山に、夢二の少年期の思いが詰まっている生家が今もそのまま残っているということは、非常に貴重な財産ですね。


小川

一度は他人の持ちものだった生家を両備バスが譲り受け、「夢二の家」(現在は「夢二生家」)として開館したのが生誕86年の昭和45年9月16日。没後36年経っており、生家が既に無くなっていてもおかしくない時代のことです。よく残っていたなという感じです。


小嶋
美術館と生家が郷土にある価値というのは、すごいこと。生家を美術館にしたという見識にも感動します。かつて、生家に土光敏夫氏(岡山県出身・経団連会長、臨調会長歴任)、岡崎嘉平太氏(岡山名誉県民・日中友好に尽力)がお越しになられたときに、土光氏が、ここは日本で最も素晴らしい美術館だと言われたそうです。お金をかけず、納屋や土間などを上手に使っていると…。

 

夢二のふるさと観


小嶋

夢二は家業が上手くいかなくなり、結果、ふるさとを離れることになります。それだけに、ふるさとに対する思いが強いのでしょう。作品のそこここに、ふるさとへの思いが感じられます。


小川

初期の作品には特に、夢二が幼い日に見た岡山の風景そのものが出てきますし、後期には、郷愁、ふるさとへの思いが強く感じられる作品があります。

『夢二の四季』(平成14年5月出版)を書くときに改めて感じたのですが、夢二は邑久で過ごした小学校・高等小学校の少年期に、日本人の心を学んでいます。夢二の大和魂の源はこの頃に培われたものと言って過言ではないでしょう。


小嶋

確かに、夢二は伝統とふるさとが好きな「日本男児」なのですよね。少年を描き、「日本男児は泣きませぬ」と添え書きされた作品は印象的です。


小川

結局夢二はその頃の気持ちを一生持ち続けました。芝居から材をとった作品が多くみられるのも、子どもの頃、生まれ故郷で芸能が身近で演じられていたことに端を発します。


小嶋

手をつないだ子どもたちが椿の木を囲んでいる作品「童子」というのがありますが、この椿もまた、生まれ育った邑久の風景だと聞いていますが…。


小川

邑久郡渡内(わたうち)にある夢二の母也須能(やすの)の里には椿の大木があり、幼少の頃、その木の下で遊んでいたといいます。この木は今でも残っています。また生家の裏山の国司丘にも藪椿があり、夢二の記憶の中に染み込んだふるさとの風景のひとつが椿であったようです。

人は故郷から旅立ち、試練を乗り越え、そしてまたふるさとに帰ってくる。これが人間の一生。ふるさとには、実際に戻ってくる場合、また心だけが戻ってくる場合があります。夢二の場合も懐かしい故郷に帰ることは叶いませんでしたが、いつも心にはふるさとの風景や人たちがいて、病床で「今欲しいのは4月頃の西大寺の鰆の寿しだ」と日記に認めています。

 

夢二と夢二の周りの女性たち


小嶋

描かれている夢二式美人の背景には、お母さんやお姉さんに対する思慕の情が見受けられます。特にお姉さんに対する思いは格別で、夢二は嫁いで家を出るお姉さん(松香)を思い、部屋の柱に裏文字で名前を書いたそうですね。

夢二式美人の根底にあるイメージも、母と姉なのではないでしょうか。母、姉は女性に対する見方の原点となり、たまき、彦乃、お葉のうち、唯一結婚をしたたまきにでさえ、妻というより、母や姉に対する思いを重ね合わせたようです。


小川

夢二は、たまきには甘えていたところがありましたからね。たまきはその甘えを全部包み込んであげられなくなったのではないでしょうか。

夢二の女性に関しては、“遍歴”という言葉であれこれ言われていますが、以前、夢二研究家の長田幹雄先生とお会いしたときに、「そういうこともあるが、それが夢二の全てではない」とおっしゃっていました。夢二の場合、何事にもオープンな性格だったといいますから、敢えて隠すことなく生きたと思いますし、一概に“女性遍歴”とは言えないと思います。面白おかしく女性のことのみにこだわるのはおかしいですね。


小嶋

女性の理想像を追い求めた結果ではないでしょうか。
その時、その時一生懸命で、いつもそばにいてくれる理想の女性を探したのでしょう。


小川

夢二は誰に対しても優しかったのです。単に女性に対してだけでなく、子どもに対して、自然や万物に対して、何に対しても優しい目を持っていたのでしょう。


小嶋

地元の人こそ、そういった夢二の本質を見て、夢二を理解して、郷土の大きな誇りとして感じてもらいたいですね。


夢二作品の見方


小嶋

ところで、ひと口に「夢二式美人」と言っても、その典型というのがあると思うのですが、教えていただきたいと思います。


小川

身体をS字にくねらせて、もの悲しげな表情で見つめる女性。ここの作品で言うと「舞姫」でしょうか。


小嶋

たわわに実をつけたりんごの木に寄りかかる女性を描いている作品、「林檎」もそうではないですか? これもやっぱり、身体をS字にくねらせて、憂いのこもった瞳を持っている。そして非常に手足が大きく描かれているのですよね。しかしバランスが見事に取れている。


小川

たまきを描いた作品ですね。最近の夢二の研究では、黄金比率ということが言われています。まるで計算されたかのごとく、見ていて心地よいバランスが、計算無く生まれているんですね。

また夢二の作品は、人の心を穏やかにします。水面がよく描かれ、女性は母や姉のようにやさしく包み込んでくれるイメージが強く、子どもは純粋無垢…。テーマも日常生活をモチーフとしており、身近に感じられ、今どきの言い方をすれば“癒される”ということでしょうか。きらびやかでなく、ジワーッとしみこむ力。そして何故かいつも新鮮ですね。


小嶋

夢二作品を見るときに、ただ「すばらしいな」だけでなく、そのあたりも見てもらえると、もっと面白さが出てきますね。

真骨頂は、牛が描かれた「秋の山路」ですね。あの足の動き、折れ曲がり具合は彼でないと描けませんね。


小川

あの後ろ足の、今土を蹴ったばかり、という感じが微妙な角度で描かれていますね。

夢二は特別な師匠について学んだわけではありません。言い換えれば、自分勝手に作品を作り出してきたのです。制約がないから、何でも出来る。決められたことを学ばないことが、多彩な夢二芸術を生み出したのでしょう。また夢二は大変努力をした人だと思います。常に筆と紙を持ち、おびただしい数のデッサンを残しています。


小嶋

夢二のことを、「単なる挿絵画家ではないか」とか「師を持たない自己流ではないか」という人がいますが、伊香保の美術館(竹久夢二伊香保記念館)で見たデッサンには、犬や猫など動物の描写が多く、その素晴らしさに驚かされました。自己流といえども、その基礎にあるデッサン力、絵の構成などは見事なものです。夢二はドイツに渡ったとき、日本画の先生をしたそうですが、それも基礎があったからこそ。自己流であることと、技術力が無いということは別問題ですよね。そのところを勘違いされていることがたまにあります。ぜひ彼のデッサンを見て欲しいと思います。


また夢二は、文学的な感覚にも長けていて、詩人としても素晴らしいものがあります。彦乃に贈ったといわれる帯「苺」には、デザイナーとしての一面までも見ることができます。

夢二は「芸術家」という言葉が嫌いだったそうですから、「多才な絵描き」とでも言いましょうか…。


小川

夢二はあらゆる分野で活躍した人です。絵を描くこと、文を書くこと、そしてデザイン…。美人画の典型「舞姫」にさえ、夢二のお気に入りの言葉「まいらせそうろう」の文字をデザインした帯を着けており、夢二の洒脱な感覚、遊び心を見ることが出来ます。そういった観点から女性の着物を見るのもおもしろいですね。


もうひとつぜひご覧いただきたいのは、作品の表装の素晴らしさです。当時、夢二の作品は、夢二作品を心から愛する人が、心を込めて表装をし、大切にしていました。その思いを絵と一緒に感じてもらいたいですね。


小嶋

現代は問題の多い、憂鬱な時代。心の癒しを夢二に求めてもよいのではないでしょうか。地元の方に夢二芸術を再認識していただき、それが延いては地域文化振興の一助になることを願っています。


小川

前会長が郷土のために先見の明と共に、深いお考えのもとに残してくださったこれらの大きな財産、岡山の文化を、後世に大切に品格高く伝えていくことが使命だと思っています。今後ともよろしくご指導ください。

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